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are-kore/ eventually見えてきた一塊の出処解らず仕舞い異なる音ひびく日は彼方向く

 Actually I don't know how to say showing of theseと いうところなんだけれども、2014年8月を最後に2年の間更新をしていないこともあり、こんな形で一度・・・・・・・・と 。但し、公開のままにして置くかどうかはその時の気分次第ではないかな、と思いつつ。 

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アタマの方がひたすら退化しているので、細かなところで色々と不都合なことが出てくる。宮沢賢治語彙辞典を初め賢治のことに関わられた原子朗先生は、早稲田の教室で賢治のことを色々と話されたものだけれども、彼は畑で作業をしている時でも常に首には小さなノートを下げていて、浮かんだことがあるときにはそれに書き込んでいたというようなことも、そのひとつ。それと自身のことは全然別なんだけれども、何故だかそうしたことが浮かぶというのは、忘れないための工夫としてやるべきことがあるのではないかと、考えるからなのだろう。メモにしても、どこにそれを書いたのかほんの一日の間に分からなくなってしまうような状態を放置しているのも、愚かすぎる。 というようなことがあるもので。

おかしな気配というのは、自他諸々の処で見受けられるもので、先の都知事選に立候補の鳥越俊太郎氏。最初の会見時、都知事としてやりたいこととしてボードに「がん検診100%」の言葉を、およそ考えられないようなヨレヨレの文字で書かれた。その内容も特異だったけれども文字自体あまりに尋常とは思われなかったので、印象に残っているのだけれども、普段の彼の筆跡は、まさかあのようなものではないんだろう、無論。それはともかく自身について思ってみて、当然ながら染みついた癖によってなる文字になっているわけで、それも自分のnoteなどではどんどん自分流に崩し、他の人間には解読不能の日英混交のものとなったりしていて、人の理解から遠ざかるものとなっていたりで。


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are-kore/この世で「永遠」とは何処辺りまでを指すの? 虹渡る日5歳児遠望する眼で問う

                                                                                   
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確か6月27日のことだったと思う。その日は大学の中央図書館に寄った日で、その時に入口近くに置かれていた「キャンパスがミュージアム vol3」≪藪野 健の芸術≫というA5サイズ18ページの小冊子を一部いただいて帰ったのである。今、早稲田キャンパスで工事中のD棟(仮称)周囲の仮設フェンス「ウォール125」には、藪野先生の描かれた早稲田の歴史が、さまざまな言葉による記録、あるいは思いなど添えられる形で描かれていて、それは描写として素晴らしくもあり大学への愛情を感じさせるものでもあるのだけれども、第一応援歌「紺碧の空」の早稲田出身ゆえとも思いたくなるほどに、先生の絵画作品には主調を成す不可欠のもののひとつのように藍、ブルーが印象的に配色されているようにも感じられる。
                                                                                                                                                                                                                
帰り、東京メトロにの車両の端の席に腰を下して冊子を取り出し、いつでも眼で触れることのできる中央図書館や小野記念講堂に展示された作品などの見えるページを、個々の作品に添えられた先生の言葉を読みながら追っていて、ひとつのところで突如として何かに打たれでもしたかのような、おどろきをおぼえた。眩暈のようなものを覚えた、と言ってもいいかもしれない。座席に背をもたせかけて見入っていた、その時。
                                                                                                                                                                                            
「子供の頃、自分は老人で、子供時代を思い出しているのだと思い込んでいた」
                                                                                                                                                                                    
老人ということは、60歳を過ぎ、そして半世紀前の子供時代を思い起こすという時間の隔たりがそこあるわけであり、、そして空間的にも彼方のものとなっているその記憶、感覚。そうした記憶の中の見えていたもの、見えるように感じていたものは、無論在ったはずのないものであるのだから、夢幻的な思いの中の、仮想現実の心の中のできごと。それはおそらくは、思いつきのように浮かんできたものではなくて、そこへと導かれる素地のようなものが彼の本性の内にあって、そうした興味深い形で滲み出てきたもの、と思いなどする。
                                                                                                                                                                               
「子供の時の都市と、現在の自分の2つの地図をいつも描いていた」
                                                                                                                                                                         
                                                                      
そうした子供時代のことを知れば、現在、過去、記憶。それへの観想、喚起される諸々の思いが、支えのようにテーマとして絵画作品に反映、投影されることになるのは、当然のように思われてくる。作品の中に定着され、そこに確かに存在しつづけることになる、結晶。芸術作品として、硬質な、力強いもののあるのを、感じる。
                                                                                                                                                                                                          
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are-kore/なぜそれを選ぶのかと画面抜け出て迫る真昼時のran-ran eyes

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ほんの少し前のことなんだけれども、スウェーデンのIngmar Bergman監督(1918-2007)の"Shame(恥)"(1968)という作品を見て、その中で使われていたBachの音楽に興味をそそられ、感じさせられるもののあったことがあって、実は後でそれが別の映画の思い違いであったことが解ったりもしたのだけれども、ともかくBachの曲でのそうしたことがあって、その後で今度はドイツのReiner Werner Fassbinder監督(1945-1982)作品の中で流れたVivaldiの曲に、またなにか感慨が伴うようなことがこちらの思いにあって、個人的な感覚からすると珍しいことがつづいて重なった、という印象が強かった。などということで、記事にしてそれに触れてみたくなったものの、、、、、。

Bachの曲というのは、E major のViolin concertoの第二楽章部分、Adagioなのだけれども、使われていたのは実は別の映画の中ではないかということに疑いを持つまでには時間がかかって、私はどこかにそのシーンがあるはずだと"Shame"の中、あちらこちらを探し回ることになったのである。このベルイマンの白黒の映画は戦時中が舞台で、オーケストラでヴァイオリンを弾いていた夫婦、ベルイマン映画お馴染みの女優Liv UllmannとMax von Sydowが本土を離れ島で避難生活をしているのだけれども、そこもまた戦乱に巻き込まれる場となって、彼らの命も極限状況に晒されるに至る。

Bachと言えば、映画の冒頭で朝目覚めた後の夫が、夢の中で互いにオーケストラで隣り合わせブランデンブルグ協奏曲のスローな部分を弾いていたこと。泣きながら弾いていて、そして泣いて目覚めたと話すところでその名は出るのだけれども、ともかく、私の記憶にあったのは、そうした不安におびえる状況の中で束の間、壊れがちだというラジオからそのBachのAdagioが流れ、ベッドの上でひとり頬づえをつくようにして聴き入る彼女の姿があるシーン。何処かで確かに見ている。必ずあるはず、と思えた。シーンとしても、その映画の中では相応しいものと感じられて。その場面で使われたAdagioが感じさせた、心の深淵に浸みていくような、玄妙、緩やかな音の魔術的な流れ。伝わりくるもの。

いわゆる、西洋音楽。クラシック。多くの曲が映画の様々な場面で使われてきて、印象に残るその映画の中での曲も多いけれども、効果的に使われることでその音楽からひきだされるもの、膨らみを帯びるものの多いこと。それによって改めてその曲の持つ力に気づいたりする、というようなことがあったりなど。その時のadagioに感じたのも、そのようなこと。自身も楽譜を持っているし、弾いていることもある馴染んだ楽章なのだけれども、改めて思わされた、新たな部分。演奏していたヴァイオリニストのイメージなども、浮かぶ。おそらくは、Yeudi Menuhin(1916-1999)。ヴァイオリニストNigel Kennedyの言う"Bach speaks through Menuhin's violin"。それが分かるほどに。

"Shame"の中で、そのシーンのありそうな箇所を見つけようとしたのだが、ありそうにない。ということは? と初めて思い違い、おそらくは別の作品の中。ということに思い至って、それはどの映画か、と考えてみて行きあたりばったたりの思いつきで、同じベルイマンの"Persona(ペルソナ)"(1966)を見てみることになった。探るように映画の中途に入り込んでみると、偶然にも、まさにadagioの流れるシーン。病院のベッドの上にいるのは、同じLiv Ulymann演ずる、心に問題をきたして言葉を発することのなくなっている女優。Adagioの流れるなか、大写しになった彼女の放心したような物悲しげな二つの瞳が、静止したまま、画面の外の見ている此方側に真っ直ぐに向けられている。私の記憶にあったシーンのイメージとは、全くちがう。どういうことだったのか。

記憶の中のシーンのイメージとは、全然違った。ということ以前に、そもそも私には"Persona"を見た記憶がないと言って良いほど曖昧で、それはもう記憶障害を起こすような脳になっているらしいことを認めるしかないのだが、心に沁みるように流れていたはずのadagioが、この"Persona"のシーンでは、Liv Ullmann演ずる心を病んだ女優の心に共鳴する余地のないものとして流れているとしか思われない。この女の孤独が際立ち、音楽はただ脇を通り抜けているだけのもののように、感じられてしまう。"Shame"の中のシーンと思っていた時には、束の間の心の安らぎ、慰撫に呼応するように流れていたと思えていたものが。そして、感情というものを失っているかのように、見開かれている彼女の瞳が、画面のこちらで見ている者から離れない。

adagioが、此方のシーンの記憶違いによって別のニュアンスをもって感じられるものとなったことはそれとして、気になってしまうことと言えば、クローズアップされた演者の瞳が画面を突き抜けて対峙するようにこちらに注がれるような演出技法。映像技、と言ったら良いのか。監督の演出。状況からして病んで心の空疎思わせるこの場合のLiv演ずる女優の瞳には向かってくるようなエネルギーを感じさせるものはない。よってこちらも怯むことなどなくそれに向き合えるという感覚でいられたのだけれども、実はその少し以前、それもベルイマン作品だったのだろうか。同じようにして主役の女優のクローズアップで、挑むような力を感じさせて、見ているこちらに視線が向けられ、凝視したまま刻々と時間が過ぎていく。というシーンがあった。否が応でも画面の彼女とこちらの間に緊張が生まれずにはいないという演出。

眼を逸らせなくなったその時の、かつて映画を見ていて経験しなかった、映画を抜け出した演者を僅かの間登場させてしまうというような特異装置を見せつけられたような、自身の感覚では怖い凝視に出会った記憶。それも忘れ難い、映画の中で試みられる、或る意味可能性。映像で人の心に食い込もうとするときの技法的可能性。ベルイマンなどは、当然そうしたことを常に追求しようとした人であるのだろうけれども、この"Persona"にしても、ひじょうにむずかしいテーマを扱っている作品。タイトルからもそれは解るようなもので、何にしても上記のシーンでBachのそのViolin concerto in E major中のadagioが使われていたのは、興味深いこと。ある心的世界、心的背景に対して、クラシックを生んだ西洋世界の人はどのような音楽を選ぶものなのか、その傾向などということも、この場合を考えても思いを馳せたくなる。

                                         **

最初に触れた曲のもう一つの方、Vivaldiの方のことになるんですが、Fassbinderの"Lola"(1981)の前半の思わぬところ、思わぬ形で使われている。というように感じられたもので、それも考えあっての選択ということになるのだろう。それだけにその訳をちょっと思いめぐらせてみたくなったりもしたのである。普通には、誰も殊更にそのことには関心を抱かないのではないかな、とは思う。娼婦の名"Lola"がタイトルになっている作品であるのだけれども、時代は戦後の復興期。町に赴任してきた中年の建築局長とLolaの恋が始まる。彼女はある男の囲われ者、愛人でもある娼婦にして、男の経営する店の歌手でもあるのだが、局長は彼女が娼婦であることも、誰かの愛人であることも知らない。Lolaとの純愛に始まる。

どういう結末になるのか知ってはいるのだけれども、実際の映画は中ほど近くまでしか見ていない。その先まで見たくなくなってしまったということがある。ファスビンダーが活動していた頃、情報としてそうした異色のドイツ人映画監督がいることを雑誌等で知り、映画について紹介された記事も読んだけれども、彼の映画を見たことはなかった。今度見たのが初めて、というようなことながら、現在の年齢で見たせいもあるのか、どうもその展開への興味、あるいは作品を通して先に見えてくるものへの関心が湧かず、自身が17歳位の頃に弾いていた記憶も甦るVivaldiのViolin concerto イ短調を弾きだすという部分だけでこの作品に関しては満足、ということになってしまったらしいのである。その部分、シーンというのは、自室において建築局長が、なんとヴァイオリンを手にし、レコードに合わせて弾きだすという、いわばこの人物はそういうことのできる人だったのかと、知らないが故の意外性に遭遇するかのような面白みを、先ずは覚えたということ。

それほどに唐突な印象を与えもしたということだけれども、誰もその人を見てそうした趣味を持った人とは思わないとしても、たまたま人がそれを知らないだけ、ということは普通にあることなので、常に予想されていることが起きるようなシーンの連続も、それは凡庸すぎる。それに触れるかどうかは分からないながら、ファスビンダーは1970年から離婚した72年まで女優にして歌手でもある女性がいながら、その間も、同性である俳優とはゲイの恋人関係はつづけるという、78年には別の愛人であった同性は、自殺。薬の飲みすぎ、或いは自殺とも言われる亡くなり方をした時には女性と結婚していたというように、普通とも思われない人生シーンを辿った人であるし、異なる味がともなうことは、その端々に見られて納得がいくと考えられても良い処なのである。このヴァイオリンもそのひとつというほどでもないとしても、私には有難い登場となったというところで。

巧み。それが、先ずの印象。役として弾くシーンで、弾くふうを装って演ずるというようなものではなし。実際に手のものにしている楽器を、自在にこなしている感じが、なんとも味な良い感じ。演じた当時50歳ということになるか、Almin Mueller-Stahlが、10代の頃にはヴァイオリンをやっていてその後俳優の道に入ったという経歴の持ち主であることを後で知って、それゆえにこそのシーンだったのかと。場面にそうした味を加えたのも良く分かるうな事情も背後にあったということになるけれども、人物設定からすれば唐突なようでもあり、ゆえにまた面白みも出た、ということになるのだろうか。というより、私は、ある種、役の人物として見ていて、その上で趣味として弾くこと、たのしみのモデルを見るかのような快さを覚えたということになるのかもしれない。レコードのVivaldiと共に弾きながら、ちよっとニャッとしたりなどする。つまりは、久しく弾いていないので間違えてしまったという部分のあったことを、音からは分からない形で、表情が物語る部分などにあった、味。なんとも、良かった。

                                  **

VivaldiのViolin concerto in A minorの楽譜ははるか昔に失くしてしまっていて、また弾こうとも弾きたいとは思わない、ただItzhak Perlmanのプレイを聴くなどして良さを感じたりもしているだけだけれども、Bachのconcerto in E majorの方は、Menuhinの弾くイメージにひきつけられるようにして、ここのところ弾くことが多い。

                                Bergman

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are-kore/もし時間が逆に流れていたら「死」は如何なることに? と問えば、Prof.T answers..

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国際間、あるいはさまざまな国々のことで、関心を向けざるを得ないこと、向いてしまうこと、色々とあって、それらは例えば宿命のように人為的なことからの悲惨な出来事など、所を問わずに起こる可能性のある人間世界、人類世界のいつの時代に変わらない状況というようなもの、これからも延々と続くことを思えば、言葉も無い、と言うしかないことになったりもする。いずれは彼方の未来、人類史も終焉を迎える。振り返る何者もその時には存在しないことになるけれども、実は非常に小さな、いじましいほどにささやかな一点での全歴史に過ぎなかったこと。やっぱりそれは今からでも透かし見えていることを、極私的な感覚から、改めて思う。
                                                                                                                                                                      
シリア、あるいは今ウクライナで当面していること。日々入ってくるそうした情報も、遠い向こうの国々での現実。自身のいるこの島国での私的な日々の生活は、平穏そのもの。脅威、不安を感じるようなことは、至近にはない。というのは確かであるけれども、同じ人間として自身が難民キャンプに置かれ飢餓の不安に晒され、あるいは至近で軍事衝突が起きかねない不安の中にいる人々の心情を考えてみないわけにはいかない。その先にあるのは、無力感なのか。何ができて、何ができないのか。如何なる国や機関にも手を差し伸べられない事態の中で、多くの人々が危機に瀕している国や地域がある、という現実が見せる人類的限界。Find any words?
                                                                                                                                                                                                                                                                                                
                                                                                                                                                                                                                
                                                                                                                                              
                                               
                                                        
                                                                                                                                                           
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are-kore/待てど待てど待てど待てど待てど来ないものなどあるもの? それをBear語に訳せば? [ホームカミングデー memory]

 
 
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去る10月20日の日曜日は、激しい雨の降る朝だったという記憶が強いのだけれども、その日は早稲田大学のホームカミングデーの日で、今回が48回目。卒業後15年、25年、35年、45年、50年目の人たちが招かれる日ということで、私もWASEDAサポーターズ倶楽部の関係で招待をしていただいたことで、たのしみに出掛けたというようなわけなのです。朝、東京メトロで向かっていて、眼にしたひとりの人物のこと。早稲田駅のいくつか手前辺りの駅で乗ってきた方なのだけれども、熟年と言って良い年齢でちょっと小柄、堅実な人柄を感じさせる端正な面立ち、紺のスーツ、という前に立つ人もいるその向かいの席の人の姿を、それとなく見てしまっていたのですね。
 
というのも、その日がその日だし、方向もその方向だし、その人の印象にもOBではないかなと感じさせるものがあったからということであるけれども、これからホームカミングデーの大学に向かおうとしているのではないかな、と予感しつつ。ほどなくして、上着の内ポケットから封を取り出すのが見え、のぞけたその封の端側の、幅広の茶のラインが眼に入る。私が受け取ったのと同じ封筒のデザインと思しい。その先は、彼の席側の前に立つ人の動きで遮られたけれども、何か確かめ見たくなるものがあったのでしょう。そんな様子を見るなかで思われた、卒業生が人によっては何十年振りかで母校に行き記念式典に出るというようなことのたのしみ、ちょっと昂揚する気分のようなもの、緊張と期待。 
 
そういう行事のある日は、晴れの日であって欲しいと願う処であるけれども、悪天候。この日のために遠方からやってきたOBもあったことを思うと、ちよっと残念に思えたこと。戸山キャンパスの式典の行われる記念会堂前は、傘を手に立つ人でいっぱいでその中に、学ラン、坊主刈りの応援部リーダー部2年の林君。やってくる人の方を向いて立っていた。ちょっと固い風な表情は、応援部員らしさといってもいいのか。式が始まった後で応援部に充てられた時間、その進行にマイクの前に立ったのがその彼。それから主将の関口君が壇上真ん中に立ってリード。背後にチアの登場で出席者たちの共に歌う応援歌「紺碧の空」、それにチャンスメドレーなど。リーダー部からは、彼ら二人のみ。神宮の早稲田の試合、雨で中止の日でありましたからね。 
 
晴れであれば、彼らはこちらには来れなかったし、私も予定としては式典の後、同時に行われている稲門祭の様子を見てから神宮球場で早稲田応援、などと思っていたのだけれども、ともかくその日の悪天候も出席者たちの記憶に残る思い出のひとつになるに違いなく。電車を前になって降りた向かいの席にいたOBも、広い会堂内に隙なく出席された方々の何処にかおられたはずで、舞台に向かって左の2階席が15年目の方、1階席は、左から25年目、35年目、50年目、45年目、45・50年目一緒になる列。そして右2階席が51年目以降、対象年次以外の方と、すべての年次。彼の年齢の感じからすると卒後35年辺りになるのだったろうか。
 
私は右2階席の会堂内全体を見下ろせるような位置にいて、やっぱりそうした70代を超えるOBたちも数多く出席している、ある意味壮観とも感じられる満席の場。感慨深いものを思わされざる得ないものもあり、居合わせることのできたことに満足を感じた。総長、校友会の代表幹事、それに卒業45年目の一人ということにもなる弁護士の大澤孝征さんのスピーチとつづいて、最後に校歌の斉唱となって、また遠くの舞台上に応援部主将の関口君登場。神宮での早稲田応援の時には、生協で買った野球部と同じ白にWマーク入りの帽子を被ることにしている私は、その日もWASEDA感覚を見せるために帽子共の参加。むろん、それは脱いで、腕を振り3番までの校歌を歌いました。
 
というところで、壇上には外国の大学から招かれた方もおられて、早稲田の場合の、この校歌斉唱の場合に歌に合わせて腕を上下に振ることを同じようにされていたのだけれども、それに少々面白みを感じた次第。その12時終了の式を終えて外に出た時には、猛烈な雨。その日にそこまでの意地悪を天がしなくても良いのに、と思わせるほどの降りようで、外に出た人々はその中、列をなして進まざるをえなくなった。稲門祭も行われるその日、多くは参加予定の会場などへと流れるはずで、戸山キャンパスから隣りの早稲田キャンパスに向けての雨中の人の波は、行き着くだけでも大変そうな気配に感じられたのだけれども。
 
私にはひとつ、行ってみたいと思っていたイベントがあって、その始まりは2時間ほど後。どこかで昼食をとってからでも、1時間半ほどは待たないといけないという処で、ひどい雨と思うように進めない人の列の中、どうしようかと考えたのだけれども、後になって後悔したことに、雨の中の状況に意欲を萎えさせられてしまうようなことになったのである。晴れていれば、人で混み合う路でも先に楽しみが待つ気分になれていたのだろうが、雨の中、満員の電車の中にいるような感覚。そこから先ずは逃れたいという思いになって、横断歩道の処で人の向かう大学側ではない、すんなりと行ける方に路を折れた。そうして、そのすぐ先の店に昼食をとる為に。
 
カウンター、或いは席に、記念式典帰りと分かる、記念品などの入った大学からの紙製のバッグを脇に置いた、いずれも60代辺りからの年齢と思われる方々がそこ、ここにいて、私もその一人となったわけだけれども、行きたかったというのは、10号館での「早明ラグビー対談」というもの。4人の対談ということで、早稲田出身の3人に加えて、明治出身の名スタンドオフ松尾雄治。行きたかったのも、かつての早稲田大学、そして日本代表の監督でもあった日比野弘先生(1934-)の話が聞きたかったら、ということと共にその姿が見たかったからである。2005年に定年退職されて名誉教授となられた先生は、今月の誕生日で79歳。
 
そうした教室のような場所で拝見できる機会が、当方にはもうないものと思えるのだから、是非ともこの日に、と考えるのは当然。ラグビーの早明戦が、国立競技場の66,999人という、実際には70,000を超えていたとも言われた入場者記録を作った80年代。それ以前の70年代から私も熱心なラグビーファンで、早稲田は大西鐡之祐監督(1916-1995)、そして日比野監督とチームを率いられたのだけれども、そうした当時の監督たちの姿は、記憶に強く残っている。日比野監督は、ふくよかな面立ちはそのままで、印象そのままのお人柄というイメージが強い。どこか怜悧な鋭さを内にも秘めているような大西監督タイプに比すると、感じとしてはその逆のゆったりとした雰囲気で周りをリードしてくれるような印象で。
 
実際、現在の年齢、そして高齢になった先生のお姿。そうしたものに触れると、若い時代の姿が余計に甦って、ひじょうに奇妙な思いもするけれども、やっぱりその魅力あるあたたかなお人柄、人間性というのは、他に見ないような生来のものを感じさせて、その人のすばらしさを思う。1970年代の頃の、ある主将の言葉、「思いやりのすごくある、情を一生懸命にかけてくれる指導者」から伝わるもの、とても良く分かるように思える。2005年に定年退職される際の最終講義で、ラグビーの仲間たちのことに触れた時に、こみあげるものに声を詰まらせ、途絶え、間があって、やっとまた言葉をつなげられた姿は、とても印象に残ります。そうした仲間たちと共にある人生。しあわせそのものの人のもの、としか思いようがありません。
 
その日、その時間の雨の強さと前に進めないような路上の混み具合に、そのイベントまでの2時間近い時間を待つ気力を無くしてしまったことで、その先のことが幻と消えてしまうことになったことを、どのように考えたらよいものか。ということでは、今後は、後悔しないためには待つべき時にはなんとしても待つこと。教訓として生かす他はない、ということになるのだろうと思う。この11月3日にも、同じように待つ必要のある機会があって、その日は雨ではなかったけれども、我慢をして待った。ひとつ、ひとつと、機会を幻とせずに、現実に触れるものとする。その方を、やっぱり選びたい。
 
 
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                                                                                 日比野弘先生
 
 
 
2o November 
 上の記事で早明戦に触れたところで、毎年12月の第一日曜日に国立競技場で行われることになっているその試合。今度競技場が改修になるということで、現在の国立での最後の試合ということになるのですね。私は行く予定でいたのですが、じつは春の早慶戦につづいてWASEDAサポーターズ倶楽部の方で今回もペアチケットプレゼントというのがありまして、私も申し込んでいたわけなのです。20名当選のところで応募者も少なからずいる模様なので、今度はプレゼントは駄目だろうと思っていました。
                                                                                                                                           
 ところが、又しても当選の知らせ。「当選」というのは、運の良さを感じさせてくれるものですね。何だか、うれしくなりました。伝統の早明戦。やっぱり、優勝を争うようなチーム力をもっての熱いたたかいを望むところではありますが、他の強いチームの存在などもあって、その点では物足りないところもあるように思います。だが、早慶戦がそうであるように、この伝統の、特別な一戦。盛り上がると思います。たのしみ。上の画像の日比野先生も、当然競技場に見えられるでしょう。
 
                                                                                                                                           
                  早大ラグビー蹴球部official siteの「国立をホームにしよう」大横断幕画像の部分
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 11月25日(月)の12:20-12;50。昼休みの時間、早明戦に向けての壮行会が10号館前の広場にて。応援歌の練習、出場選手の決意表明、校歌の斉唱などが行われる由。行ってみたくなりますね。実は上画像を入れた今日は、11月23日。思いついて、ラグビー応援に国立に行く時には、早稲田カラーの臙脂のマフラーをと、今日買いに行ってきました。という具合に早大応援に入り込んでいるというわけなんですが、昔、明治大学には2年間在学(演劇専攻)。こういう対戦の場合にはどういうことになるのか、ということがないわけでもないんですが、なにせ早稲田通いもじきに6年目に入るとなれば、、、、、、。画像の左端に、ホームカミングデー記事でも触れた応援部リーダー主将の関口君がいます。学ラン、腕を振り上げて。4年は、最後になるんですね。
 
 
11 December
12月1日の早明戦での、画像。一枚だけ、ここに入れておきましょうか。試合終了後のセレモニーでは、選手たちを前に、登場した松任谷由実さんが「ノーサイド」を歌いました。改修前の国立での最後。1973年以来の40年間の戦史に幕。ここで繰り広げられた数々の熱闘。
 
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are-kore/時の流れに落下してくるものの響きsymphonyに変ずることあるあちらサイドのluck

 
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これは今年度の県の詩人クラブ10月発行の県詩集に、この週初めに送ったもの。2000年からの参加なので今年で14度目ということになりますか。ここでは横書きにしてプリントアウトしたものを使っていますが、実際のものは一人見開き2ページ32行までの割り当てで、普通に縦書き。
                                                                                               
 
年齢と共に色々なことをじきに忘れてしまうようになって久しいのだけれども、例えば今進行中のプロ野球2013年版。去年辺りからまた興味が向かうようになっていて、気になるチーム、選手のその日の状況などを追っている。そのチーム、選手とは別に、ヤクルト・バレンティンのホームラン数がどこまでいくかが、たのしみ。                                                                                                
 
 
本日8月30日現在で52本。目下チームは最下位ながら、残り30試合もあるのだから、記録の55本を超えてしまうのは普通に見て、時間の問題。じつに、痛快なことに感じていますねえ。超えた時点で、この年のこの記録は忘れずにいることになるのではないかな。それに星野監督の楽天がリーグ優勝すれば、多分、彼のためにそのことも。
                                                                                                                                                                       
 
 
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are-kore/押しはすれども選ぶ言葉の限界際立ち彼方見えるは地平線

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 少し前に大学の図書館で、書棚から手にとった本の著者の名を見て、"heeeee"、と思ったのが「碧海純一」というお名前。学者の方なのだけれども、「あおみ」という読みはそれとして、その漢字のお名前がきれいというのか、しゃれているというのか。ちょっとユニークで、良いお名前だな、と。以前に触れたことがあるけれども、私の甥の男女の双子の男の子の方の名が、「碧海」というのです。どのように読む名前か、その時にお答えしたんですけれどもね。上の長男にも海を名前に入れているところを見ると、海への思いが強い夫婦なんでしょう。ところで、今日はその「海の日」でしたねえ。
                                                              
 
丁度今、かつては特派員として世界の紛争地を取材し、現在はフリーランスジャーナリスト、また大学講師でもある横村出先生の講座を受講している処で、先生が2005年に岩波書店から出された「チェチェンの呪縛」なども読んだのだけれども、カフカスの地域などを考えても、海に囲まれた日本の何と恵まれた位置にあったことかを、思いますね。初めからの、地続き世界で宿命的に異民族と隣り合わせに生きること。支配、被支配の関係に翻弄もされる。そうした大陸世界の多くの地域の辿った現実の歴史を知ることもなく、島国日本は外からの攻勢を殆ど受けることなく、現代に近い時代までやってこれたということなど、稀有でもあるような。
 
                                                                                                                  
                                              
世界の人々。その民族の、数千年にも及ぶ間に血に刻み込まれたもののことなど思うと、他と日本人の間の表面からは見えにくい部分に至るまで、色々とあるのではないかということは、考えますね。近い国、中国、韓国などの国にしても、古来からの我々とは全く異なる情勢下を刻んできた歴史の上にあるわけなのでね。その中で根づいた民族性を、我々、どの程度理解ができているものか。ということでは、もっと深い理解、認識が必要と思えるところもあるし、ということではまた逆のことも言えるのではないかとも思いますけれどもね。正しく向き合うということ、言葉ばかりのもののように思われがちだろうけれども、何処の地域においても、究極それを探ることしかないのだろうし。
 
 
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are-kore/兎跳び熊吠え不敗神登場する神宮球場のimmortalityに話及べば

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久しく更新しなかったことになるけれども、気がついてみればという処もあって、いつの間にやら月も変わりその月も後半に入って、これは何といったら良いのか、わわれわれの置かれているさだめ、ということでもあって、そうした思いを繰り返しつつ年を重ね、いつも時間は過ぎていくということで、その最後が人によって何年目かのちがいということにもなりますか。80年などというところにいけば上々などというような受け止めをする人もいるかも知れない。初めからそのようなことには無感覚、という向きがあってもおかしくはないということもあるものの、何にしても気がついてみれば、時には残されている時間ももうない、ということもね。

この18日の土曜日は、およそ30年振りか。神宮球場。正確に言えば明治神宮野球場に、予定の通りに出掛けて六大学の応援。何故に行こうという気になったのかと言っても、たまたま思いついてというほどのところでしかないんだけれども、その週の立教3回戦を予定していたら早稲田は連敗をして、3回戦がないことになってしまった。ということで、土曜日の法政戦にずれこみ。その日、地下鉄駅から外に出て感じたのは、全然辺りに見覚えのない状態になっていること。初めて来る場所同然の辺りへの感覚。球場の方角はおおよそ分かったけれども、分かったことと言えばそれくらいであとは未知の街状態。というのは、どうしてなのか。かつて幾度となくやってきていたものなのに、30年も経つと? 

応援部のリードに従っての観戦になる応援席に入ることにしたその日。前から5列目程のところだったけれども、すぐ脇に応援部員が立って声を張り上げる。眼の前にチアの女子がやってきて立ち、これまた元気な声を上げる。そうした周囲の動きの中、校歌を歌い、応援歌の「紺碧の空」、その他をを歌い、コンバットマーチにメガフォンを叩き、手を振り上げる。選手を応援、と連続して応援は続く。という中で、感じたのは、応援部員やチアたちの頑張りを眼の前にしていての、それにも応えてあげなければというような心情。印象としては、自身の学生時代にチアはいなかったけれども、応援リーダーに従っての応援スタイルは変わらないように感じた。それに当該試合大学の応援団同士の、交換の六大学の形、伝統。 

私が初めて神宮球場に行ったのは、昭和36年の春の早慶戦。慶應側の関係でチケットをいただいて観戦できたのだけれども、その春素朴な新潟の中学校を卒業したばかりの、15歳のとき。熱気に満ちた超満員の球場内の模様は、強烈な夢のようなものであったということになると思う。そうしたイベントの場に身を置くのは、初めて。記憶に残っているのは、早稲田側の応援。三塁側に見た方向イメージとして残っているのだけれども、現実にはそれはありえなくて、一塁側早稲田、三塁側慶応というのは歴史的な背景もあって固定しているので、三塁側の何処かから一塁側の早稲田を見ていたのではないだろうか。ワ・セ・ダと上げる声の区切りに従って、学生たちが体を前に倒し、後方に体を上げると共に両手を上げるというような形だったか、その連続した上段から下段までのスタンド全体の動きが、稲穂の揺れるイメージに映った応援部分。 

 その応援のさまが深く残像として残っていて、他にはただ場内の熱気に圧倒されたような記憶しか残っていない。その時に試合に出ていた選手の名前なども、全く記憶にない。それから25年程を経た1980年代のこと、TVKテレビ(神奈川テレビ)で毎週末放映されていた六大学野球の試合中継番組で、ある時「六大学野球の思い出」というようなテーマで、視聴者への応募が呼びかけられたことがあった。その時に私もなにか書きたくなって、浮かんだのがその最初の時の忘れがたい早慶戦のこと。六大学野球は今よりはるかにマスコミの扱いも大きな人気スポーツであったし、その前年の秋のリーグ戦では早慶六連戦という歴史に残る対戦があったことになるのだけれども、田舎にいた中学生まではその連戦の熱気は届かなかったように思う。ただ、初めてその春行った早慶戦の模様からしても、熱気は言うまでもなかったということ。 

確か四百字詰めの原稿用紙に4枚余、書いたように記憶する。それから程ないある土曜日か日曜のいずれか、試合前の時間に視聴者からの投稿の紹介があって、なんと私の名前が言われ、その「思い出」に実況アナが触れることになったのだが、その時の担当が、かつてのプロ野球のニッポン放送のショウアップナイターと言えばすぐに名前の出るほどに知られた、深沢弘さん(1936-)だと、さして考えもせずに思いこんでいた。ところが今回Wikiで見てみると、彼は1994年までニッポン放送にいて、その後神奈川テレビに移ったことが分かって、1980年代にそちらで仕事をしていることはありえないことを知った。ということで、改めて考えて思い至ったのが、TBSのエキサイトナイターで実況アナとして活躍された渡辺謙太郎さん(1930-2006)。 

1985年12月にTBSを退職されて、フリーになっている。ということでも、時期的にピタリと合う。今になってみると、その顔も声も記憶から脱落している深沢弘さんに比べて、渡辺謙太郎さんの記憶は、顔も声もその人間の発するイメージも確かに残っていて、既に亡くなられていることを知ればとても懐かしく感じてしまうのだけれども、放送での私の投稿文への触れ方も彼らしいというのが、そうして思えば分かってくる。彼ならでは、という感じがする。というのも、普通であれば、400字詰4枚余もある投稿文を紹介するのであれば、簡略に要約するなりして一部を原文通りに伝えるというようなことになるのだろうけれども、その時の渡辺さんは一行目から原稿を読みだして、さわりの部分だけで終わらせるものと思っていたのが、終わらずに先へと進むのである。そこで自身の書いたものに触れられるとは思ってもいなかった上に、そのように読みだされて、心情としては気恥かしさにそこから逃げ出したい思いになったのだけれども、読み続ける彼の声は最後の一行までという形勢で、止みそうにないのである。 

何故にその長すぎると思える全文を彼が紹介しようとしたのか。印象としてその時にもそれと感じたのは、早稲田出身の彼の早慶戦への思い入れの強さ。その早慶戦を初めて見た時の感動がいかに大きかったかを書いた私の投稿文は、彼の思い入れ感覚波長と、実に良くマッチをしたのではないかということ。記憶にあるそうした彼に、熱いものを感じる。渡辺謙太郎さんという人は、そういうハートを持った人だったな、ということを今になって思う。あまりに遠い過去のことなので深沢弘さんも早稲田の出身であったことから、いつのまにか思い違いをしてしまうことになったけれども、前に書いたように深沢さんの声も顔も、実のところは記憶から消えてしまっている。 

神宮球場で記憶に残っていることのひとつと言えば、2004年から2008年まで阪神タイガースの一軍監督だった岡田彰布さん。彼が大学に入ったばかりの年。春のリーグ戦の後の新人戦を見に行った時のライト前ヒット。彼は1957年生まれだから、1975年のこと、ということになる。昭和50年。曇天の日で、青空の下の球場感覚とは違い、スタンドの下側の早稲田側ダッグアウトすぐ上にいたせいか眼の前のグラウンドの土の感じが、プレイのスピード感を失わせるような重さを感じさせる、暗い色に映ったもの。そんな重い感じのグラウンド上を、ガツンという音と共にライト前に打球が転がって行った。硬球ならではのといったらいいのか、それに曇り日の重さも感じさせてのガツンという音。その音の感じが耳に残り、またそのガツンには岡田という選手の非凡なパワーゆえのものもあるのか、とも感じさせるものがその時の思いにはあった。並の一年生とは少しちがう、という情報からのイメージもあったのかもしれない。

今回、大学のサポーターズ倶楽部の関係で、20名に早慶戦のペアチケットが抽選でプレゼントされるというので申し込んでおいたら、思いもかけずに当選。というようなことで、外れていればおそらくは今回は行くことはなかった早慶戦に、そうとなればこれは良い機会と、普段は外で存分に声を出して歌うなどということがないし、応援をしたい気持ちは大であるから、是非とも行かなければという気持になっている。この春のリーグ戦での早稲田と慶応。最下位の東大は決定済みとして、どちらかが4位か5位になるという順位の待つ不本意な成績のシーズン。だが早慶戦は早慶戦。成績とは無関係の両大学にとっての特別な試合、イベントでもあるので、その盛り上がりに期待し、また良い思い出がひとつできればと思う。 

 

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are-kore/ジューニアの申す処では夜の桜もまたなかなかに興趣あるものと/and the others

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幹の根元近くから横に伸びた、直径40センチはありそうな分かれた幹のひとつに、肩を押されながらの画像が上のもの。その隆起した太い根は、腰を下ろすに丁度良し。膝上には、つきあい長い雌のジューニア。いつもの夜のウオーキングコース、歩いて10分の運動公園は今、一帯桜の花盛り。
                                                                                                                                                             
                                                                                                                                                      
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April
 
一昨日だったか、近くの長津川公園を通りかかった時に、散った桜が見せるいつもの辺りの模様に、またレンズなどを向けることになったのだけれども、その様子がこの年であるからといって、変わるものでなし。となると、そこに時間の推移の違いがあるのかないのか、思わせたりすることなどにもなる。この画像は、昨年の4月17日のもの。ということから、今年はもう既に、この画像の様子そのままという公園の様子から、昨年は盛りも遅かったのだな、と。
                                                                                                                                                                                                                                                         
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6 April
前日5日は、早稲田大学エクステンションの大隈講堂での修了証書授与式の日で、ひとりひとりが台上で鎌田総長から手渡していただきました。私の場合は、実質、4年間での修了。25年目でというような女性の方もおられたようで、生涯学習としては、さまざまという処ですね。式の前に講堂の前で修了生全員の記念写真。良く晴れてくれて良かったと思います。記念品などもいただき、こうした考えられた機会を与えていただいた大学に、心から感謝をしたいですね。全員、同じ思いであるでしょう。自身も含めてですが大抵は、今後も早稲田で継続、ということであると思います。 
                                                                                                                                                                                                                                                            
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are-kore/至るところに新しい窓新たな繋がりの端見えること

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こういう行動を、どのようにとるか。考えてみたくなることではある。もう亡くなられた著名な哲学者についてのあるエピソードによるものだけれども、その先生が散髪のために床屋さんに入った。そうして始められたのだけれども、床屋さんのやり方が、先生は気に入らない。ああだのこうだのと注文をつける。先生の風貌を写真などで見たことがないので、どういう髪型をされていた方であったのか分からないのだけれども、そのあれこれ注文をつけるあたり、ご自身の外見イメージを大切にされていたということは、伝わる。だが、プロである床屋さんも色々と心得ているはずなので、客の求めるところ、外見に相応しいイメージもちゃんともってかかっているはずとも思えるので、どういう互いの間のズレであったのか、興味も覚える。

ともかく、先生は気に入らない。ついにはとうとうお怒りになって、「もういい」とそのやりかけの頭のままそこを飛び出して、別の床屋さんに行かれることになり申した。ところが二軒目の床屋さんのやり方はもっと気に入らなかったらしくて、そこでのやりかけの頭のまま、また元の店に戻って来て、「さっきはすまん」と言って、その続きをやらせたという。先生の行動も、当人には切実で失礼な言い方を許してもらえれば滑稽でさえあるけれども、最初に不満をあれこれ言われて出て行かれた床屋さん、それに二軒目のやはり客に気に入られずに出て行かれた床屋さん、二人の受難のようなその時の表情も、何とはなしに想像されてくる。自身の思うところ、感じるところを率直に表明する、先生の見せた行動には、本来そうあっても良いと思えるところも、あると思うけれども、現実的にはどういうものか、ということが絡まる。

その著名な哲学者というのは、詩人谷川俊太郎の父親、谷川徹三(1895-1989)。、たまたま読んだねじめ正一の2002年の著書の中にあった「『世間知ラズ』を読む』というタイトルのエッセイの中に書かれていたこと。「世間知ラズ」は、谷川の1993年の詩集。谷川、ねじめ氏たちは、阿佐ヶ谷という地を介して近隣に住む者同士。「谷川俊太郎の姿は、しょっちゅう商店街で見かける」、というような、それも何十年にも渡る、地域内生活者同士。そんなことから、そうした谷川徹三の「こんな楽しいエピソード」、というのも近所での出来事として耳に入ってくることになったのだけれども、息子の俊太郎の近所でのエピソードというのは、何十年を経てもひとつとしてない、とねじめは言う。何故にそのようであるのかを、読むこと鋭く巧みなねじめは、身近に知った谷川俊太郎という人を、読み解いていく。詩人同士として一緒に仕事をすることもある間柄でありながら、「カラダの小さい、頭の薄くなった、目立たないおじさん」としての谷川を、しょっちゅう近所で見かけたりなどもしている、というねじめ正一氏。

先の、見方によっては子供っぽいとも思われる谷川徹三先生のエピソードが思わせる、自分の感情に従って正直に動くというパターンのこと。それができずに、普通には自身の感情を抑制するということになるのだけれども、それのできる人が、つまりは大人。という一方の事情。その結果どうなるかという方のことになると、はなはだ心許ないと思われるところもでてくる。自分を抑えつづける先。その抑制の在り方の先には、国民性的な部分に至るまでの傾向が見られてくるのではないか、などとも思えてしまうけれども、そこのところは難しい。                         ところで、ねじめ正一なんだけれども、今度その著書を図書館の書棚から偶然に手にするまでは、実のところ、関心の外の対象でしかなかった。何十年ものむかし、彼の詩のひとつを読んだ時の印象が残っていたくらい。奔放そのものの言葉遣い。田村隆一にホルモン詩人と言われたとか。そうした勢いの散文詩。結局のところ、食わず嫌いというようなことであったのかもしれない。

この著書にしても、他に読みたいものがあったということもあったけれども、結局は読まないままで返すことになる手前。返却日の一日前についに開いて、「詞のコトバ詩のコトバ」という中島みゆきの歌詞について書かれたエッセイを最初に読んで、「唯一、中島みゆきの曲を聴くと、涙腺がゆるむのである」という部分に至って、突如スイッチがONになりかけた。「その泣きたいときにかける曲が中島みゆきの「この空を飛べたら」である。中島みゆきの曲の中で泣きたい曲ベストワンである」という次の言葉に至って、一気に共鳴感覚上がり、この人間が好きになってしまった。単純なものです。私は聴いて泣きたいわけではないけれども、だが胸に来る。三、四年前、長い髪、ドレスしなやかな大人の女性らしさをもってこの曲を歌う彼女のビデオを最初に見て以来、繰り返し好んで見ていた時期があって、今でも、歩きながら時に口ずさんでいることなどもある。その歌詞、言葉にやはり胸に来るものを覚えてしまっていたりなどする。

借りた本は延長し、全編面白く、興味深く読ませていただくことになったし、ねじめ正一氏という優れた表現者についても、それ以前にはなかった認識をもつようになった。開かないままで返していたら、最初に書いた哲学者谷川徹三の、思いもかけないエピソードも、知らないままであったことになるのだろうし。

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are-kore/farewell 2012 and ウエルカム巳年の2013

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2012年12月31日。という今日なので、グッドバイこの年、とこうした場で言いたくなる、やっぱり普通の日でもない。その今日という日は、常に新しい日ではあるけれども、また古い、遠い日の如きもの。次の新しい年も、届かない、遙か遠くに過ぎた年でもある。 そのようにして常に過ぎる時間の中にいて、今新しい現在の瞬く間に遠のいていく様(さま)に、否が応でも向き合わされていると、未来もまた、遠のく過去の時間を待つ、たまたま先に置かれているだけのもののように映ったりなどしてしまう。

妄想のようなもの、と言えば言えるし、実のところでは、まことに真実、とやはり言うしかないということになるのだろうけれども、我々の生きている人間世界、本当に誇大妄想としか思われないようなあれこれのことに、その生きる土台をしっかりと占められて━━それが先ずは何を指すかは誰しもが考える通り、それがつまりは人間、そして我々の生きる世界になるので、なんとも、と嘆息せざるを得ないようなこともあれこれと出てくる。衝突、苦しめ合い、というのは世界の誰もが望まないことだろうけれども、そうもいかないというのが哀しい。                                   

何にしても、しあわせ、だとか充実した現在、という実感のある日々を多く持っていけたら、という誰しも願う思いは、やはり時間を超えて、個人的にも変わらずにいくはずのもので、、、、、、、。Farewell 2012 and ウエルカム、巳年の2013。

                                                        
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are-kore/外吹く風此方のinside掠りもせずに空間をびゅんびゅんとまあ自在この上無し

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平成24年12月7日の現在、目下の大方の関心は、衆院選。その選挙方式というのが、小選挙区比例代表並立制。小選挙区300名、比例代表制選挙の方で180名ということながら、小選挙区で落選しても比例区で拾われて問題なく議員活動ができるようになるという、何やら不可解さも感じさせる、投票者の選択をすり抜けることができるような制度。ワタシの処は千葉の4区で、野田佳彦氏の立候補地。立候補4人のなかのひとり。その彼がこの制度を利用して、落選しながらも当選できるという、普通の感覚ではフェアとも思われない、この二段構えの制度を利用なさるのだそうだとか。ご自身の地元の有権者の判断への不安からなのかどうかは分からない。おさみしさを思わせるけれども、それは当人のこととして、この制度はどうにかした方が良いのではないかな。
                                                                                                                                                              
 
                                                                    
                           
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are-kore/それはそうなの地上最強のどうぶつ問われてrat胸張る

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例えば階段など。それが長い歴史持つ建物のものであれば、そこを上がり、そして降りた幾多のひとびとのいたこと、よぎったりなどするはず。1925年7月6日竣工の東京大学安田講堂。他日、講座の受講で初めて訪れたのだけれども、大学闘争時の傷跡など、そのentranceに見られたものの、中は改修されて様子も整い、歴史ある講堂内の雰囲気を感じさせて。次の年の春期には、また受講に訪れたい。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 
                                                                                                                                                                      
                                                                   
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are-kore/数を見るに何処を向いてのそれかと閻魔に眼剥かれる横向きviewer

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少し前のこと、思わぬところで「小国和紙」に出合った。この国の中で知識ある人は、その和紙を知っていて利用している人もあるということを、そのことは思わせたのだけれども、一冊の本の中。佐藤隆介著「池波正太郎指南 食道楽の作法」。その最初の章、「酒ヲ以テ真ヲ養フベシ」の中に「和紙は旅に出るたびに見つけて買って帰るが、いま一番気に入っているのは小国和紙である」の記述。自身の故郷に繋がるもの、その地名などに普段こうした形で触れることはないから、やはり珍しいものに出会えたかのような感覚になったもの。

小国和紙。以前、江戸時代、あるいはそれ以前から製造されていたということを知って改めて、自身が生まれた地のことについて何も知らずに来たことを思わされたのだけれども、実際の処、昭和三十年代に中学校を卒業して故郷を離れるまで、確か一度として和紙のことを耳にしたこと、学校なりでも教えられたことはなかったと思う。それほどに全く知識としても入ってこない、周辺にはないものでしかなかったということ、それは他の子たちにとっても同じだったのではないだろうか。

現実には同じ中学校の通学地域、山野田で当時も冬の時期に必要な収入源として生産されていたはずであるし、当然同級生に山野田から通っている生徒はいて、彼らはその手伝いなどもやらされていたはずであるのだから、それでもこちらの耳にはそうしたことについて全く入ってこなかったといのは、どういうことだったのだろうか。今にして奇妙にも、思う。山野田、それに法末という地域など、本当に学校までは距離のある奥の地域で、積雪の多い冬などよくも歩いて通えるものと思ったもの。大変だったと思う。

私が故郷を離れて以降、時代と共に地域起こしによる変化なども訪れて、小国和紙は1973年には日本の無形文化財に、1974年には新潟県の無形文化財となった由。私の住んだ50年代までには考えられなかったような評価を得るまでに至ったということ。素晴らしいことと思う。ただ、2004年の中越地震で、山野田の集落は全戸避難せざるを得なくなり、そのまま集団移転をしてしまったということ。技術は受け継がれて生産に変わりはないとしても、およそ考えられないようなことの起きたことを、改めて思わされもする。

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are-kore/ummaaaaaaaa声催させる異境の眺めにヒョイとプリズム

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19 July (update)
先日、随分と久しぶりにお茶の水に。明冶大アカデミーコモンの3階ホールまで。地下鉄駅を下りた後で、お茶の水橋を渡る。下は、神田川。渡りながら、何と高いところにあるのかと、端に行けないような高所恐怖めいたものを感じる。川は異様なほどにはるか下方。それでもやはり下を見たくはあるので端に寄るのだけれども、その眺めは自身のありふれた日常生活圏にはない、特筆すべき部分のように、やはり感じてしまう。飛び降りたとしたら、その衝撃は如何に?  などということを思わせるし、生命の危険となるほどのものではないだろう、という感じでもあるけれども、試しに飛び降りたという人のことも聞いたことはなし。端で感じる、ちょっと胸にゾクッと来るような感覚、また蘇える。
                                                                                                                                                                         
                                                                                
帰りには地下鉄駅に向かって、橋を渡る。前方には東京医科歯科大の建物が横並びにそそり立って、なにか無味乾燥な一帯といった印象を与えもするけれども、その日の帰り、いつもは無縁という感覚で通り過ぎていただけであるのに、そういえば、と思い出したことがあった。確かに二十代の中頃か、そこの病院の歯科に一度だけ行ったことがあって、治療台には乗ったけれども、先生というよりも学生に近いような人の良さそうな人物と何かしら言葉を交わしただけで、なにもしてもらえずに帰ったということがあった。どういう治療を求めて行ったのかもう記憶がないけれども、結果としておかしな空振り的行動であったような、その日のこと。
                                                                                                                                      
その高い橋の上からの下方を見ての眺め。都会のど真ん中にそうした畏怖を覚えさせる対自然の空間のあること、そうしたものに触れると、昔自身の関心をとらえていた人の住む土地、そしてその土地による心的影響ことなどが、よみがえる。例えばのこと、高く聳える山のような、畏怖させる自然の存在を真近にした環境の中で育てば、人は人間を超えた仰ぎ見る存在のあることをを知りつつ成長することになる。それに対して周辺にそうした自然を持たない環境の中で育てば、その影響のちがいは、確かにあることになるだろうな。その辺りの処から、例えば東京のような土地育ちの人間、その傾向など、そうした視点から考えてみたくなったりなど。場合によっては、人間主体の傲慢な形にも、それは現われるだろう、というようなこと。
                                                                                                                                
 
                          *
                                                                                                      
ここのところ、ちょっと関心を以て読んでいた方面。そこに漱石の弟子の幾人かのことだとか、中村真一郎(1918-1977)なども登場していたものなのだけれども、その彼らの仕事面のことではなく、個人的、人間的な部分についてたまたま関心ひかれたことに、関わっている。その中村真一郎についての場合なども、先ずは「私の履歴書」(1997 ふらんす堂)などを読んでみて、こちらは漱石とは関係ないけれども、随分と別なイメージで見ていたものだな、ということを感じた。かつて、関心を以て彼の著書などに触れたことがない、要は良くは知らないままに漠然としたイメージしか持たずに来たことから、当然とも言えるけれども、その洗練された知性面に対する印象が大きかったと思う。感性、人間性の面でも魅力を備えた人物、ということもそこには加わっていたようだけれども。
                                                             
                                                                                                                                                              
                                                                
いくつかのこと。彼の17歳当時のことに触れてみようかな。先ずは、日本一の秀才校旧制第一高等学校一年の1935年12月6日の日記から。
                                                                                                                                                                               
                                                                                                                     
 
                                                                                         
『スポーツというのは何と妙ちくりんな、grotesqueなものだろう。人の群れが犬ころの様に、たわむれ、いちゃつき、狂い、あばれ、一つの空間を一時に二人も三人もして占んとして、科学の法則を無視してあばれまはる。ばかばかしい。多くの肉体が一緒になって、くねくねと動きまはつて、一面の空気を攪乱してゐるのは、気味悪さのかぎりだ。それは醜悪とも何とも云いようがない。私は見てゐるうちに、此のうずまき狂ふsturm und drangの中で気持が悪く、恐しくなって、口中に泡をいっぱいにためて、眼がくらみ、胸が悪くなり、今だに吐き気がおさまらない。皆はどうしてこんな恐ろしいことが平気でやれるのだろう。此んな気持になったのは、中学四年の とき開成で柔道の試合を見たとき以来である。ああ、気持が悪い。吐気がして仕方がない』
                                                                                                                                       
                                                                                                                                                         
                                                                                                                 
                                                                           
吹き出したくなりそうな、などと言ってはその時の彼の真実に対して失礼なことになるだろうけれども、そうした心の状態に至るにその背景というもの、考えなければならないということで、時代により多様な精神の内側、傾向も異なる処。いずれにしても、その人間の根の部分に組み込まれたとも思える、そうした意識。ある方向に強く振れすぎているような印象もある。亡くなった後に編まれた「中村真一郎 青春日記」からの引用なのであるけれども、もうひとつ、こんな部分にもまた、興味深い面を感じ、引用してみたくなる。同じ年、7月1日の記。
                                                                                                                                                                    
                                                                                                                                    
                                                                                                                   
                                                                     
『谷崎潤一郎「神童」を読み返す。一見して、まとまりのない文である。ただ、、この中に表はれてくる神童があまりに自分に似ているので驚く。ほとんど、自分自身が描かれてゐるのではないかとおもふ。ただ、此の神童の態度に対して解決をあたへていないのは、自分にとって、非常に不満である』
                                                                                                                                                                 
                                                                                                                                                  
                                                                                                                              
小説「神童」のモデルは谷崎自身だろうし、小学生にして超秀才、頭脳の他との差異歴然たるゆえの神童ということになるのであるが、その能力は宝のようなものではあるけれども、それもある意味、ひとりの子の、その人間の一部であるに過ぎない。中村真一郎も同じように抜きんでた勉学能力を見せて神童と呼ばれ、あるいは見られて育ったのであろうし、その能力を見せるだけで他をそれにひれ伏させて生きていけるわけでもないという当然の現実の中で、心的にも屈折を経験しながら成長していかなければならない、という状況の中にあったということ。神童の谷崎の辿った心の風景は自分に同じ。似た者同士の状況。「一見して、まとまりのない文」とこの谷崎の作を見ているところなども面白いけれども、確かにとりとめのなさも感じるそうした作品などを書きつつ、秀抜な頭脳、能力を以て、その屈折を通して見える世界にも表現の広がりが与えられ、作家谷崎は本領を発揮していったということになるわけだけれども、。中村真一郎の場合には、如何なる模様であったものか。                                                                                                                                                                         
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   
                                                                                                                                                                                             
彼の若い時代のことを、ちょっとだけその日記から此処に引用などしてみたのだけれども、 彼は、そうした時代の自身を、例えば晩年になってどのように振り返った時に思ったものだろうか? その当時求めていたもので、変質せずに残りつづけていたもののことなど、知りたくもある。なんにしても、そういう時代を経て秀才は、詩、小説、劇作、評論等の仕事を通して、著名な人物となっていったということであるけれども、遠くから漠とした、そして固定的なイメージでしか見ていなかった人に対して、接近を試みてみれば、かなりまたちがっ印象をもって見えてくるということ、というのは、やはり望ましい経験でしょう。何処の方面のことについても、概ね一事が万事、そうしたものでしょうけれどもね。
                                                                                                                                                                          
ところで、「履歴書」を読んで印象に残ったひとつに、彼のフランス語のことがある。大学ではフランス文学を専攻し、それ以前から語学としてのフランス語には習熟していたのではないかと思われるほどの彼が、フランス語を話せなかったということ。はるかに後年、パリに滞在した時に3か月程が過ぎても一向に話す方が駄目な彼に、あなたのような人も珍しいと言われたのだとか。生活体験の影響の大きい、言葉の持つそうした面の性格。興味深くも思い。そうしたことからすると、遣唐使として派遣された大天才空海が、唐土に足を踏んだその最初から、当の国の言葉に巧みであったという司馬遼太郎「空海の風景」にある事実と思えること。その如何に信じがたいようなことであるかも思うけれども。
                                                                                                                                                                         
                               
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都会の中のふしぎすぎるできごと

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この水曜日、5月23日の午後の早稲田でのこと、ワイシャツの右のカフスボタンが、手首の部分から外れて消えていることに気づいた時には、思いがけないことの起きた思いがしたものでした。かつてそのようなことの起きた経験もないし、そこに止めた限り外れることがあろうなどとは考えもしなかったからである。緑のカフスで、その色合いや形など気に入っていたひとつであることは確か。でも、ひとつ欠けてしまったのでは次には用を成さない。、残念に思い、少々がっかりもした。何処で外れたものか、想像もつかない。

毎週、水曜、そして金曜日。それぞれの日、午後二つの講座を受講しているので、西船橋から早稲田まで東京メトロに乗る。始まりが1時。少なくとも30分以上前には駅に着いて近くでコーヒーなどを飲む時間を持ちたいと考える。昨年につづいて受講している、金曜日の文学部の中島国彦教授の講座は先生が出欠をとるのだけれども、一度、間に合う時間に出たつもりが実際にはそうもいかず、教室に入った時には出欠もとり終えた1時5分。駅から小走りに向かい、26号館に入ってエレヴェーターを使わず、階段を7階まで急いで上がりながらの、その結果。そういうことは、避けたい。

中島先生の教室については、受講生30名ほど。ウィークディの昼。男女共に、5、60台が中心。この4月からは、横光利一の「上海」が3回、そして現在の折口信夫の「死者の書」が4回の予定で、そしてまたその次の作家へと進むスケジュールになっているのだけれども、私にとっては他の講座もたのしみ多い時間ながら、中島先生の授業もまた内容を感じる魅力ある時間。優しい人柄そのままという語り口での、アプローチの仕方、切り口がとても興味深い。この26日の金曜日も、12時20分位には早稲田駅に着く電車に乗っている。

横光利一、それに折口にしても講座で取り上げられなければ、自身が触れるはなかったというような人たち。殆ど作品のタイトルを知るのみであったという処であるけれども、例えば折口にしても、こうした機会を得て、その世界を知るきっかけを得られたように思えるし、それこそがまた機会を持つこと、出掛けていくことの良さでもあるように思える。その折口の「死者の書」、その岩波の本の中、適当に選んだ部分を東京メトロの中で、その金曜日、辿ったりなどしていた。ということなのであるけれども。

どのあたりだっただろう? 多分、日本橋から大手町にかけての辺り。少々眠気を催して本を脇に、眼を閉じ、頭をたれてしまったのである。だからその後の間は、何処かに飛んでしまっているような感覚の中。だからそのあとで、脇から声をかけられたように感じ、眼を開いてその方を見た時。そこに隣の席の、中年のしっかりとした顔立ちの女性を見、彼女から緑のカフスを渡された時も、ちょっと夢うつつのような感覚のまま、お礼の言葉を言っていただけのことで、現実感が薄かったという記憶がある。そのことがあったのは、確か竹橋を過ぎて九段下に向かっていた辺り。

それがどういうことであったのか、現実味をもって考えられるまでには時間がかかったし、実のところは今でも良くは解らない。その時には、家にもうひとつのカフスがあることが分かっていたから、それが失くしたひとつであるのはまちがいがないと思いつつも、帰って確認するまではという気持ち。当然のように、それは帰って確認。おそらくは、水曜日の東京メトロの中で、カフスは外れ落ちたのにちがいない(他の場所の可能性は?)。各駅ごとに人の乗り替わりのある車内。見知らぬ人ばかりの中。思い返しても、記憶に残る顔は、全くないに等しい。

そして、この金曜日。乗った快速電車の、発車時間などは記憶にないけれども、水曜日とは別の時間の電車であったはず。快速といっても東陽町の先は各駅になるものの、ともかく互いに見知らぬ者同士が、それぞれに動いている都会の中のできごと。その中で、突如、たまたまそこに乗り合わせただけと思われる隣席の女性に、いまそこで外れ落ちたカフスであるがごとくに手渡され、何故にそうなのか解らぬままに此方が、それを受け取っていたという、時空の中に謎のあるような、そして謎のままのできごと。

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are-kore/二十万年かけ1cmさえも進めぬ足あればそれもう稀有な記録に間違いなしと地なるwitness

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                              30/April/2012/rapum blossom
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are-kore/飛び出して還らないのも天のSiriusにまで至れば到底無理ゆえギヴアップ

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前回は、内田百間さんの、ex-野良猫の家猫ノラ失踪後の長年に渡るノラへの思い、嘆きなどの多々思われるエッセイまとめられた「ノラや」のことにも触れたのだけれども、愛する者がいなくなる、消息不明になる、これは人間ならではの辛い経験事。どうしているのかが、分らないという向こうの見えない状況。それゆえに余計に思いも募る。そう言えば、前回の記事の時にも忘れていたのではないかと思えることで、ふとまた思い出したことに、昨年9月のニュースに、アメリカの西部コロラドで失踪した三毛猫が、2600キロ離れた東部のニューヨークで、ほぼ5年ぶりに発見されたということのあったこと。

これは、どういうことか。動物の保護団体が体内に埋め込まれたマイクロチップによって、それが失踪した当の猫と同一であることが確認されたとのこと。どのような場所でどのような形で幸運にも保護されたものなのか。どれほどの数か想像できないけれども、ニューヨークにも相当数の野良猫君たちがいるものと思われるから、こうした出来事は稀有のことと思われる。それにも増して、その距離の不思議。長距離輸送車両に入りこんでの旅、ということもそこにはあったか、などということを普通に推測したりもするけれども、なんにしても生きていた、そしてまた飼い主の元に戻るという、事実。

先月の25日。自身も10年9カ月の間、家族の一員であった"L"を、思わぬ状況にて、失う。溺愛していた。今、何処にいるものかは、神のみぞ知るという処。ここにいて、埋めてくれていたものの多いこと。"L"には、改めて感謝の気持を言いたい。

 

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are-kore/視る向きの奥似たる人時越え訪れることあるそのとき

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この10日、脚本家等として活躍された市川森一さんが70才で亡くなられた。その彼が、ずうっとパーソナリティとして出演されていた、ある月曜から金曜日までの昼のラジオ番組のこと。私はその番組だけできるだけ聴くことにしているのだけれども、昨年、早大で講座を受講していた加藤諦三さんも別の曜日のパーソナリティ。市川さんは金曜日に亡くなられた。月曜は加藤さんの担当なのだけれども、当然のことながら番組側からの市川さんに対する追悼の言葉がある日になるだろう。そのように此方は思っていたところが、収録されていた市川さんの日の放送分を、加藤さんの代わりに流しただけで、終わる。
                                                                                         
追悼の言葉だけではない、番組として特別な形の放送回にするのではないか? 真摯に取り組まれたことが此方にも伝わる市川さんという人の存在。そのことを思ってもなにか追悼の形のことが、と希望的に考えていた此方の思いは見事に裏切られて、追悼のひとつの言葉さえも無し。いまだ理解に、難し。
                                                                                    
                                                                             
                                                                                                                                                                                          
24 December
今年最後の更新、ということをやっておこうかな、と。すぐに一月になり、どんどんまた日が過ぎていくことになるわけで、今年が、来年がと区切って言うこともないようにも思うけれども、でも年のこの時期に来ると、終わり、そして始まりという区切りのようなもの、やはり意識に来るもののようですねえ。
                                                 
                           *
                                                                                   
                                                                
「本を読むのが段段面倒くさくなったから、なるべく讀まないやうにする。讀書と云う事を、大變立派な事のやうに考えてゐたけれど、一字づつ字を拾って、行を追って、頁をめくっていくのは、他人のおしゃべりを、自分の目で聞いてゐる様なもので、うるさい。目はそんなものを見るための物ではなさそうな氣がする」 
                                                                                                                                                                             
内田百間さんの短章「風呂敷包」の書き出し部分。昭和8年オール読物発表のもの。百間さん44歳。文章はそれにつづいて、「貧乏の挙句、家族の食ふものがなくなったので、蔵書を賣り拂って、最後に、いくらか未練があって残しておいた字引も、みんな賣ってしまった。獨逸語の教師をしているので、辭書の類は大分持ってゐたのだけれども、それを賣ったら、何だかその語學にも興味がなくなってしまった」、などとつづくのだけれども、彼の現実、そこでの彼ならではの感覚、感性による対応、そしてその結果の次第。
                                                                  
東京帝国大学出身にして大学の教授等をしながらも、上記のような生活を送り、普通ならば表には見せまいとするところを何ら臆するところなく、表現して見せているのは著述をする人ならではのものでもあろうけれども、またそこで見せる彼の視点、在るがままに生きる人の潔さのようなもの、それに触れる人の関心ひくものが出てくるもののようで当時出版された彼の号をタイトルに入れた「百鬼園随筆」は、ベストセラー。
                                                                    
その彼の「ノラや」という1980年に初版の発行された、中公文庫の一冊をいま手にしたところ。1956年から1970年までの間に発表された彼の家猫への追慕、諸々の思いを書き綴ったものとされる内容。「彼ハ猫デアル」という野良猫の子、ノラとの出会いの一篇から始まっているのだけれども、そのタイトルからして夏目漱石の弟子である彼らしく「吾輩は猫である」をもじったりなどして。その辺りにも彼の変わらぬ師への思い、内に強くあるものを、やはり感じさせる。
                                                        
どこに書かれていたのか今思い起こせないけれども、誰かが百閒さんのこと、「子供の時のままの、現在」というようなニュアンスで表現していたけれども、そのままのような人であったのかもしれない。ある場合には、一人にはしておけない手のかかる子供のような。それだけにまた、感情も純粋、そのままに流れ出して止まらない、という面を思わせたりもする。人が成長する中で、あるいは失い枯れさせていくものを変わらずに持ち続けるような。
                                                                  
実のところ、早大エクステンションの秋からの、26号館602教室での文学部中島国彦教授の講座では、一回一時間半の授業で、斉藤茂吉を四回、内田百間を三回、瀧井孝作を三回という予定で12月まで進められたのだけれども、この内、瀧井孝作には個人的に全く関心湧かず。ということながら、先生が百閒さんを選んでくれたのは有難かったことで、こちらなりに期待を抱いていたもの。非常にやさしい穏やかな語り口で、丁寧、かつ綿密に進められるのが先生の授業で、ひきこまれる処があるのだけれども、百閒さんについての場合、もちろん先生の考えられた取り上げ方であったものの、自身としてはその人間、個性面などについてもっと入りこんだものなどを期待。でも時間足らずのこともあり、先生のお考えもあり、いずれにせよ致し方無し。
                                                                   
昔は彼の著作をあれこれ持っていたのだけれども、引っ越しなどをする間に大抵の本を処分したりで、手元から消えてしまっていた。「風呂敷包」の最初に彼が書いているように「本を読むのが段段面倒くさくなったから」などというのも、あるのかもしれない。今は、小説などは、全くといっていいほど読まない。短編ならなんとか、というような処。また百閒さんなどに巡り合ってみると処分などしなければ良かった、などとも思うけれども、そこは図書館の本で間に合わせることもできることだし、身の回りの物はできるだけ少なく、というのが望むところでもあるので、本も増やしたくはない。
                                                                                 
                         *
                                                                                                                                              
「ノラや」で、百閒さんという人をたっぷりと味わうとして、私の処にも今野良猫でいつも此処に来ているのがいる。何年にも渡っていつも裏庭に来ていたのが白黒の猫なんだけれども、それに代わっているのが、この茶の猫。春頃だったのだろうか、住まいの脇でこの猫を見た時に感じた痛ましさ。右の眼が抉られでもしたかのように無かったのである。そこの部分の生々しい傷跡。その後も家のそばで見かけていたけれども、もちろんそばになど寄ってこない。警戒心強く、離れたところにいて、いつでも逃げだせる態勢でるような様子。
                                                                 
裏の部屋の外のエアコンの上にいたりすることもあって、夏の頃、室内から撮った写真などもあるのだけれども、ここのところ裏庭に姿が見えると、踏み石の上に猫のために置いている皿にキャットフードを入れてあげていた。それがつづくうち、そのそばから離れない時間が多くなった模様。早朝など、気がつくと窓の下で待っている姿が見える。裏庭は枯れ葉が敷き詰められた状態になっているので、そこにうづくまるようにして、日向ぼっこをするように眠り込んでいることもある。
                                                                     
その子がそこにいるようになったせいか、ずうっと来ていた白黒の猫の姿をここのところ見ていない。
もう傷跡はすっりと収まっている様子なのだけれども、何としても片目だけの顔でこちらを見上げている姿を見ると、不憫に感じるのである。食べさせて、体も大きくさせてあげたいなどと思うのである。そこにいる限りは、あるいは来ている限りは、考えてあげたいなと。
                                                                        
                        *
                                                                                                                                         
本日は午前中、中山競馬場まで歩いて往復。2、3Rとやって明日のグランプリ、有馬記念の馬券を買って戻ったのだけれども、どちらかと言えば私は、GⅠのレースに強い。どうでしょうかGⅠ馬9頭の参戦。ブエナビスタもこれがラストレース。 
                                                             
自身としては、来年もまたたのしみな、一年。
いつまでつづくものかは分からないけれども、来年はまだ、たのしみな一年。
                                                                                                                 
                                                                                                       
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are-kore/厳冬無ければ温もる春の訪れも無しと線上のcrow

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あちらに見える地、国々の流れ来た時代を見ていると、ヒリヒリと痛み浮くにんげん史の肌が思われてくる。それは、此方でもなにも変わるものではないけれどもね。
                                                                                                                     
                                                                                                                          
                                                                                                              
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are-kore/夜空カイチュウデントウ向ければ光淡く月に触れる

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たまたま、いままた内田百閒(1889-1971)さんのものを読む機会が訪れて、むかし読んだ「冥途」だとか、「旅順入場式」など、文庫本のページにしても5ページほどしかないようなものなど、読んでみているのだけれども、3日前、月一回の医者に行って待っている間に開いて「波止場」というタイトルのこれは8ページほどになるものだがその最初のページに、「性根の悪い色をした青黒い水」という表現が出てきて、なんだかまた百閒さんの人間そのものに絡まるなにかがそこにもあるような印象を覚えた。水に人間のような性根があろうとも思えない。                           

「祖母に溺愛されて育ったためもあってか、非常に頑固偏屈かつ我儘で無愛想な人物として知られ、またそのことを自認してもおり、よく作品内の素材に利用した」。そのようなことなので、そこに入りこめば、その特有とも思える個性とつき合わざるを得なくなる。通常の人間の感覚を物差しのように脇に置いて、彼独特な心の風景に思いを向けつつ、あれこれと巡らせて。つまりは、それはそういう人の世界のこと、それゆえに見えているその足跡。そこに人間のなにを見、感じる?  そんな材料である、百閒さんという人、或いは文学とのつき合い、しばし。

                             **                        

本日の、これは非常に危ない自身の初めての経験。近辺を動く時には、概ね自転車を利用。私はdiabetes18年目、というようなことはあるけれども、血圧はほぼ正常で健康面で特におかしさも感じていない、という状況。よって普通に走っていた時に突如なにか分からないものに支配され、自律感覚を失ってフワフワと漂うように歩道から、30センチほどと段差のある車道に落ちて行ったという事態は、考えられもしなかったこと。前を行く車の後部が眼に入る。後ろから来る車に当てられても、どうにもできない。自転車は横倒しになったが、こちらは膝をつく形でなんとかこらえられて。

第三者が見たら不注意で、走行中に車道に落ちてしまったとしか映らなかっただろうが、こちらは乗用車やトラックの運転者が、運転中に意識混濁を起こして歩行者を轢いてしまう場合の、自律不能状態に陥ったのと同じようなもの。自分ではどうにもできないという事態。頭の中に痛みのようなものは全くない。歩道に戻ってからも、頭の中がモワモワとして定まらず、歩けないので道脇で動けるようになるのを待つ。もちろん、不安定な状態はつづいてもう乗ることはできずに引いて戻ったけれども、道々、これではもう危なくて自転車などは利用ができないと思ったもの。

脳卒中で倒れた知人のことなどが、甦る。でもそれとは違って耳の方に関わる症状による、という印象。昨年の夏あたりから左右の耳の内側の具合がおかしくなって、漸くここのところ一段落した気配であったのだけれども、どうもそちらとの関わりと思える。友人にメニエール病なる持病のある者がいるので、その感覚がちよっと分かるような気にもなったが、また通常の感覚に戻ってみると、喉元を過ぎれば、というふうで自転車は変わらずに利用する。但し、今後は注意深く、ということは当然。

                                            ページの無い内田百間処女作品集「冥途」(1922)の初版本目次
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are-kore/飛躍ある処の訳ありに夕べの直立食指

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名手の音外し。                                                                                                                      monkey、うっかりと落下した木は、たまたま滑り易くて。                                                             であったのか、そうではないのか。                                                                                             真ん中とると、そこから飛び立つ、波長。                                                    ではない、白鳥。                                                                            その間に何が起きているのか、起きるのか。                                       そこにひとつ差し込む、検死庁長官の万引き。                                      と言えば多少の飛び過ぎと見て、警部の行為に差し替え。                                     次には、当の白鳥が置き引きなどと。                                              何かしら、常に飛び立つ。                                                       それを確実、と見る。                                                        いやでも、そうなる。                                                       いやでも、検死好みの検死庁ならぬ警視庁の長官。                                                      というのは、たまたまの極楽鳥の名前。                                            空には虹色の雲。         

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         23 October                                                                                                                                                                   或る人は、別の時間軸をイメージしてたいした年数ではないと言う。でも、にんげんにとっては、やっぱりたいした年数、100年。生きること。あなたにできますか?  と問われてyesと自信ありげに言える人も少なかろう。2パーセント? その100歳でこの16日、カナダはトロントにてフルマラソンを完走のシーク教徒、ファウジャ・シン。8時間 25分 16秒。日本の100歳、日野原重明医師も対抗心燃やして、駆け出しますか? そのお姿拝見したいと言う人もいないでしょうけれどね。なんにしても、ひとつの貴重な人類的達成とみて、世界的賞をあげたいような快挙ではありませんか。もしまた、101歳にしてフルマラソンの完走など果したら、その驚異の度を上げることになるのではないかな。1歳加わるだけで、それはもう。                                                                                                                                                                                                         

私の十代の頃の記憶に刻まれている名前に、ミルカ・シンというインド人アスリートがいる。ターバンを巻いたシーク教徒。1960年のオリンピック・ローマ大会で400メートル、4位。アジア大会では金メダル。インドでは陸上界の英雄となっているとか。ターバンを巻いた100歳のフルマラソン完走のニュースに、彼のことが甦ってきた。ついでに検索をしてみたところが、Wikiで見られたのは、ジープ・ミルカ・シンという1971年生まれのプロゴルファー。インドを代表するプレイヤーだとか。それが、私の記憶に残るミルカ・シンの息子であることを知る。それはさておき、完走者がインド系、シーク教徒だったこと。そこに見えてくるものも、なにかあるのだろうか? そのようなことも、ちょっと思わせたこと。

                                                                                                                                                                                       

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are-kore/見えすぎても行き着く先闇深しでは

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1 October                                                                  れわれ、永遠などということを、よく言うものだけれども、短かなhistoryしかない人類の未来に、それはないのですねえ。時間は、限られております。孤独死。哀しいイメージでとらえられるものながら人類の死も、まさにそれになるのではないかな。蝉の夏もとうに終えて、本日は、衣替えの日。

4 October                                                                                     「蝉の夏もとうに終え」と書いたことを思い起こすようなことが今朝。歩いていると、車道脇の路上に仰向けの蝉が、一匹。すっかりと秋の気候で、晴れの日だけれども、肌寒さがある。もう蝉のいる時期とも思えなかったから、まだいたのかという思いと、以前死んだ蝉がたまたまそこに見えているのかという半信半疑の思いで拾い上げてみると、それもちょっと予感にはあったのだが、足が動くのである。此方の指にその先をかけようとする。生きていたということは、蝉の季節はまだ終わってはいなかったということ。もう死ぬばかりのところの蝉君を、道脇の木の根元に置いてあげた。むろん、夏の方は、とうに彼方。

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are-kore/求むべきはtonmaの馬脚事前に見抜く良質眼鏡でもアル  

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11 September
新司法試験の合格者発表があったとかで、当人、関係者たちにとっては悲喜こもごもの日となったことと思うけれども、この8月下旬のニュースで知った、弁護士志望の司法修習生の就職難のことなども、浮かんでくる。昨年新司法試験に合格した修習生のうち、この7月時点でまだ4割が弁護士を志望しながら、就職先が決まらないとか。制度の変化により数が増えたということも、一因にあるようではあるけれども他の要因によっても年々、増加傾向にあるということ。意欲や費用をかけて貴重な資格を得ながら、それに見合ったものの容易に得られないきびしさ。考えさせられる。
                                                                                                                                                                           
それから、8月の下旬に最高裁が発表した、09年の旧司法試験に合格した司法修習生ら185人が今年7月に受けた卒業試験で24人(13%)が不合格になったという結果。前年の12.6%を越えて、過去最悪ということになったということであるけれども、前年にしてもそれに近い数であったということ、きびしさはついて回るもののように思う。もしそこに当人の適性への疑問などあり、ここに至ってその方面での社会貢献意欲に足りないものを自覚することなどあれば、名のみとったことへの反省めいたものにくるしむ者、無きにしもあらずであるか。
                                                                                                                                                                    
ところで先月、故郷にお墓参りに行った時のこと。長岡駅前のバスターミナルで待っている時に見た、別路線のバスの後部面に掲げられたひとつの広告。「小千谷唯一の法律事務所※※※」、正確なところは忘れたけれども、ともかく近くの街小千谷に弁護士が一人しかいないらしいということをそれを見て知った時に感じた、意外さ。従姉の家に行ってからきいてみると、やはりそうした事情にあることのようで、改めて非常に偏りのあるその業界の現実を思ったりなどで。
                                                                                                                                                                
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are-kore/翼あるwordsあれば翼あるcolorsもあるかホメロス

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20 August
夏の甲子園も、本日で終わり。決勝まで進んだ青森の私立校のレギュラーの殆どは、大阪の出身。そうした極端とも云える偏りはなかなかに興味深い現象に違いなく、北の地元県においては実態として、他校は予選から大阪選抜とたたかっていたようなもので、感覚には少々やりにくさがあったのではないかな。そのようなことなども思い、地元千葉県の今夏の代表校についても見てみたところが、こちらは何れも地元出身の子たち。住まいから歩いて7、8分のところにある、スポーツパークと言い換えても良い運動公園内の市民野球場では、毎年夏の甲子園予選の多分3回戦位までか、試合も行われるのだけれども、市内の中学生の大会や高校の試合にもよく使われている。たまに、通りがかり、スタンドに上がって見ることもある。
                                                                                                         
そうしたことで、近隣の中学校の名前も覚えたり、強そうな学校も分かってきたりなどする。その中の一つが、時たまグラウンドの脇を通ることのある近くの中学校であるのだけれども、練習や、他校との練習試合の様子などを見ていて、しっかりと指導されてやっている様子は伝わってくるし、成果が大会などで出ている様子を見ると、やっぱりな、という印象も抱く。今度の県の甲子園代表校は隣になる別の市の市立高校だったけれども、選手の出身校の中には、近くのその中学校の名前もあったし、住む市内の他の学校からの子もいたりで、そうしたことからも代表校に対して、非常に近しい印象を持ったことは、確か。1、2、3回戦を勝ち、ベスト8まで進みながら、本日の決勝で勝ち、全国制覇を決めた東京の高校には敗れてしまったということで、残念な結果ではあったものの。
                                                                                                                                                                                                            
                                                                                                                                                                                                                 
21 August
昨日、以前より知るあるブログのこの数日来の記事にて、その人独自の、過去の高名なそれら外国の文学、演劇関係の何人かの作品等についての見方を知って、興味唆られるものをおぼえた。「こきおろしている」という表現をしても良さそうな、その人が抱いている、或いは抱いてきた直截な感想、見解といえることになるのだが、60歳代の知識豊かな人のものであるだけに、その根拠などにも無視できないものを思わせて、考えさせるのである。無内容なものは、無内容。評価に値しないものは、価値薄いもの、と断じて見せる。単純に言えば、権威の前に絶対に膝まずかない、それよりも自身の考える処がどうか。それによる判断、という姿勢。その結果が、例え歴史的な評価がどうであれ、駄目なものは駄目と、独自の評価をする。そうであって良いことでしょう。そこまでの認識、攻勢に出るエネルギーの持てる者であるか否かが、そこでは問われもすることであろうけれども。
                                                                                                                                                                      
                           *                                                                                        
                                                                                                                                            
対象に共通のもの生ず、というようなことでちょっと前に大仏(おさらぎ)次郎さん(1897-1973)に遭遇。著名な作家としてその名は当然むかしから知る人であったけれども、作品を読んだという記憶が殆どない。既に今やはるか遠い昔と言って良いか、往年のヒーロー鞍馬天狗を生んだ作家が彼であったことを、今度改めて知ったような具合であったし、またこちらが関心を覚える処とは別傾向の作家、という先入観で見ていたところもあったからだろう。そのために、現代、歴史、ノンフィクションの作品の殆どもむろん、童話を書いていたということも知らないまま。あれこれのことに無知、という自身の傾向も晒け出すようなものであるけれども、名のみ知るだけだったようなその大仏さんを少しばかり覗き見るきっかけになったのは、彼が無類の猫好きであった、というのを知ったこと。
                                                                              
日々、猫とのつき合いある、そしてやはり愛着深いものを感じる自身としては、より猫とのつながり深い人生を送られた人であること、それを知るだけで一気に親近感を覚えてしまったところのある、大仏さん。「スイッチョねこ」という童話作品の存在を知り、読んでみたくなって、それも収められた「猫のいる日々」という、 彼の猫について残された文章のほとんどすべてを網羅したという一冊を、市立図書館から借りる。そこに収められているような猫をめぐるエッセイなどを見るにつけ、いかに彼のことを知らなかったかを思い、それはまた自身が全く関心を向けることなくきている諸々の、例えば著名な作家等を含めた人々、彼らの中の多くに興味ひくものの見えてくるはずのことを思わせたのだけれども、それもふとしたなにかのきっかけなどあればというところか。
                                                                   
それこそ猫を巡ること、大仏さんにはそのエピソード、語りたいこと、限りなくあったはずであるし、ここに書かれているのがそのほんの一端にすぎないのは当然のことであるけれども、彼というのは、どういう人であったのかな。そんな関心に触れてくるような彼の言葉が、自身には印象に残る。ほんの僅かな言葉を見て、未知の人について漠然と思うばかりのところのものであるようだけれども、例えば「わが小説━スイッチョ猫」という短い一篇の中のこのような言葉。「私は物など書かないでネコのように怠けて好きなことをして日だまりで寝ていたい」、そのように始まっていて、「若い頃から移り気で怠けもの」のような言葉があり、そして当時、「むやみやたらに数だけ書いていたが、別に書きたいものもなく筆を執っていた。いやでいやでたまらなかった」、というような心情に当時あったこと。
                                                                          
「怠けて猫のように日だまりで寝ていたい」、と書いているこのエッセイは、昭和37年3月、朝日新聞に発表のもの。大仏さん、65歳になる年。作家として多忙に過ごされてきた人の、こうした本音。ちょっとまた特別な、彼という人のものらしい感慨でもあるのではないかと思わせる。そしてこの、本の中でも2ページばかりの短かなエッセイの最後に、「私の一代の傑作はほんとうは終戦後、藤田圭雄さんがやっていた「赤とんぼ」に書いた『スイッチョ猫』と言う短い童話である。12、3枚のもので、珍しく、書いたものでなく生まれたものだった」、とその作品について、そして自身の思いについて触れている。「一代の傑作」とは、そこに託している思いに並々ならなさを感じさせる。それも、短な童話の一遍。登場する「猫」。それもまた、彼という人の見える、重要な扉であるにちがいないこと、思うのです。
                                                                                                                                                                         
                       Mary                                   
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are-kore/操られて舞い上がり落下はかなき絵の見える後日

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聴こえても良いのにな、と思っていた蝉の鳴き声が、今夏初めて聞こえたのが24日の朝。元気の良い、miien miien という鳴き声が上がって、いよいよかと思わせたのだけれども、、ほんの僅かの間で、それも一匹のみのもの。その昼頃にも同じように耳にしたものの、朝と同じ。それからまた聴くことがなかったのが、29日、今朝。また、聴こえてきた。溌剌とした一匹のみの、miien miien、だったのだけれども、それもつづかずに止んで、あとはもうその声無し。長い長い年月、地下にあって、今夏は如何なことになるのか。現われるはずの多く彼らの、現われる気配、目下のところ無し。
                                                                                                                                     
今夜は、雨。今週は、それ以前の天候から一転して、ずうっと真夏日とは無縁。毎日、雨予報を見るような天候で、なにかはっきりとしない。曇りのち雨の予報を見て、何れ降るのかと思っていると、当たらずに雨はないまま。というような日がつづいたような印象。昨日のアメリカの西側に住む友人のメイルでは、99度という気温、と。ということは摂氏で37度辺りですか。うだる暑さを思い、熱波で死者の多く出ているアメリカのことを思ったけれども、先週あたりはこちらも夏日が続いて、お互いのことと伝え合っていたものの、それもどこへやらの日が続くと勝手なもので、他所事のようになってしまう。個人的には暑いのは嫌いではないけれども、熱波となるとどうなんですか。脅威と見ていいものでしょう。
                                                                                     
先週、早大の中央図書館に寄った時、席が随分と塞がっているなと感じたものだけれども、考えてみたら前期の試験が近づいるからだろうということ、後で思い至りました。現在は、その最中。ともかく席にはつかずに書架の前で、目についた本を手に取っていたところで、面白いなと思ったのは、映画監督小栗康平著「映画を見る眼」の中でのこんな部分。私も、カメラを使っていて感じていたことだったけれども、勉強をしたわけでもないせいか、こうしたことまでは考え及ばなかった。
                                                                         
「我々は、両の眼で見ている。だが、カメラはレンズひとつ。肉眼で見たものと似てはいるが、同じではない。私との距離が失われて、客体になる。絵柄で言えば、奥行きを失い、平面になる。3次元が2次元に。映像は、坂道を現わすのがとても下手・・・・・・・・・云々」「片眼をつぶって手を伸ばす。目的のものには、触れにくい」。これまで、画像を見た時に感じてきた撮っていた時の印象との違いの理由。そんな処で思わされることなったというようなことで。
                                                                                                                                                                                   
                                                                                                                                                          
30 July 
前日、蝉の鳴き声が辺りから聴こえてこないことを書いたところで、今日の午前、西船橋近辺を通っていて、聴こえてくるにぎやかな蝉の鳴き声に、これはちょっと違うなと、思ったことです。地域的には離れていない。ということからすると自分の住まい近辺も、今日あたりからいっせいに鳴き出しているのかと、戻りながらその方への注意を向けるべく。ところが近辺に至って耳をすましたところでは、あちらで聴いたぎやかな鳴き声のする気配がない。辺りに樹も多いに関わらず。
                                                                      
自宅に戻ってから、聴こえてきた鳴き声。続きそうな気配に、やっぱりそろそろということになるのかなと、本格的に仲間共々鳴き出す時期にきたのかなと思ったところが、一匹だけのそれも止んで、どうも尻すぼみ。向こうの方から微かにひとつ、鳴く声はしたけれども、それも消えて、周りに樹の生えている此処でも、この近辺でも、どうもやはり遅れているということか? なんにしても、鳴くところではもうしきりに声をあげていることが分かったということで、納得。
                                                                                                                                  
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are-kore/「かくも長き不在Une aussi longue absence」、などのタイトルふいと浮かぶとき

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60年代。そんな遥か向こうの時代に見た映画のタイトルの、文字をひとつ変えている。「不在」を、「不快」と。当然、映画とは無縁の意味合いへと、飛んでいく。「かくも長き不快」。
勝手で申し訳ないながら個人的に最初から今の首相、今の位置に相応しくない人物と感じていて、現在においては、いよいよ「かくも長き不快」を感じる状態にあるというのが、眺めの模様。
というような映画とは無関係のことは、あちらに蹴飛ばして、60年代に見たこの映画、主役女性を演じていたのは、「第三の男The third man(1949)」のアリダ・ヴァリAlida Valli(1921-2006) だったんですねえ。映画のシーンの記憶があります。カフェの女主人が彼女。16年前にゲシュタポに捕まり消息を絶った夫。その彼に似た記憶を喪失している浮浪者。その彼を夫と信じて疑わなくなる彼女。シーンの中の室内空間、場面など甦ってくるけれども、女主人がアリダ・ヴァリだったという記憶は完璧に脱落していて、いま映画の中のイメージに、すんなりとあの彼女の雰囲気など収まらない。
                                                                                                                                                                                                                              
                                                                                   
それから、最近見た70年代後半の映画に出ていたソンドラ・ロックSondra Locke(1947-)。他にも80年代の頃の映画を見ているけれども、何と言うのか神経過敏イメージの、ヒリヒリするような冷たい光放つ大きな眼。そんな印象を浮かべてしまうタイプに此方には映る役の中の彼女。その彼女の映画初出演が「愛すれど心さびしくThe Heart Is a Lonely Hunter(1968)」であったということは、演じた女の子の記憶はむろんあるけれども、名前が結びつかなかった。初出演ということは、その時点ではまだ無名だったせいかもしれない。私は、それを日比谷映画か有楽座で封切の時に見ている。そこに出ていたのが彼女だったのか、とちょっと感慨めいたものも覚えた。ただ、聾唖者を演じたアラン・アーキン Alan Arkin(1934-)の記憶は、かなり鮮明にある。彼は、アカデミー賞の主演男優賞、ロックはその初演でアカデミー賞の助演女優賞に、それぞれノミネートされたことを知る。アメリカの女性作家、カーソン・マッカラーズCarson McCallers(1917-1967) の処女小説の映画化されたものであったけれども、その作家の名も、ある人からの教えで当時、印象に刻まれていたものだった。映画の中のいくつかの場面、そして最後のシーンなど、甦るものがある。改めて思い起こしてみると、心に深くしみてくる人の世界の哀しみのようなもの、アーキン演じたその主人公の姿と共に残されていること、感じる。
                                                                                           
またしても、とりとめもなく。
                                                                                                   
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are-kore/出で来るもの既にその器量読めて暗澹なる時世とかや

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12  June                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             
For visitors from outside of this country  I write in English this time instead of Japanese.There isn't special thing to write about individual part now,but those many problems  we are facing at since that unbelievable earthquake and tsunami on March 11,then serious radioactive damages caused by  neuclear reacter accident,has been left .The leadership of the goverment,it has been asked too. Dalayed,what it should be done as faster as possible and those matters in fact some parts nothing has started by the lack of united leading systems ,3 months has passed though.Very strange things has been going we should say .Real important thing has been aside and other factors like political conflicts inside taking the place for example.That is part of the reality in this country now.And prime minister is going to change,that shows like it is the symbol that hasn't been right work done by leader or leaders and not answer to expectation of victims and the nation at this time.
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           
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are-kore/時間は無尽蔵にあるとノタマウ目出度き宇宙神にshortcake

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27  May
Mayの語原は、豊穣の女神Maia。そう言えば「メエ」と鳴くのは、山羊でしたか。Mayは、「メイ」ですから、山羊の鳴き声として普通に書かれるものから極少逸れているようであるけれども、でも、「エ」を「イ」と変わりなく使う場合だってあるようだから(ワタシの母の名前の場合などそう)、Mayを山羊の鳴き声に重なる月としたところでね、別に構わないという向きもあることでしょうな。一度また、本物の山羊の鳴き声に、注意深く耳を傾けてみることも、やってみたくはあることなのかな。そういう機会には、なかなか恵まれそうにもありませんけれどもね。そこから飛んで某日のことへと行きますか。もう一週間ほど前のこと。東京メトロ。何処あたりだったか。日本橋?
                                                                                                                          
混み加減であった車内。だが、その駅で降りる人も多い模様。ドアー近くに立っていた当方、本などを読んでいて気はその方面に。よって、次々に降りる人が此方に当たろうと気にもせずにいたのだけれども、「すみせん」のやさしげな女性の声、至近、背後から来る。こちらがつかえる形、降りる邪魔になる位置にありそうながら、本の方に気がいっていたのと、他の人同様に脇を抜けて行ってくれるだろうという漠とした予測から、その声に反応せずにいたという訳ですね。その声の主は、ちょっと此方を押すようにして脇を抜け、降りて行った。のであるけれども、抜けるとほとんど同時だったか。[ジャマなんだよお!!!」。
                                                                             
突如の怒鳴り声。あのやさしげな声の主の女性の豹変。申し訳ないながら、なにか可笑しさを覚えてしまっていましたね。ちょっと身をその方に向けて、ホームを行く三十前後とおぼしい彼女の後姿を見ていました。女性的なやさしげな声と、キレて怒鳴り声を上げた時の声の違いのコントラスト。ちょっと横幅のあるしっかりとした体つきの、キレた迫力ある声がなるほどと思えたようなイメージタイプ、と映った後姿。だがともかく、何故に彼女はその程度のことでキレたのか。想像はしたわけですね。そうした場所で女性が怒鳴るというのは、やはり普通ではない。ということは、普通とはちがうなにかのある人なのか?
                                                   
とりとめのないことをとりとめもなく書くつもりで書いているけれども、早大エクステンションの名誉教授にして詩人、86歳のH先生の話は、行き先に向けて出発しながら、途中で心許なさ増して、ついには行き先のあったことが忘れられる、という成り行きを辿る。最終目的に、行き着かない。というパターンなど興味深いところでありますが、それは年齢のこともおありだし、その他の心的な事情もおありだろうし、そもそもが行き先に行きつかなければいけないのか、という受け止め方もあるわけですからね。内容によっては別にその必要がないかもしれない。プロセスに面白みあれば足りるかもしれない。なにかしら、味のような、追求するほどのものではないなにかね。
                                                                      
この24日ですか、先生は某駅で置き引きに合ってお金その他を失くされたという。警察にも足を運ばれたようだし、それはそれは困ったことでしょう。どういう心境であったものか、そうしたことには触れなかったけれども、なにが来ても驚かない、動揺などはしないという達観した境地にお住まいというふうも伺えるので、困惑はしつつもそれでも淡々と対応されたということだったのではないかな。という先生は目下、ライフワークとしている書の近々の出版に向け打ち込まれているようであるけれども、考えること多く思うように睡眠もできない。睡眠薬も必要とする。そうたこともあるようで、その燃焼し続けるエネルギー。立派だと思うんですね。
                                                                                                                                                                    
                                                                                                                                                                                                                                                 
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are-kore/あんな時代もあったねと、time machineで颯爽時空を抜ける

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「ガリア人は一般に、宗教上の儀式、典例を遵奉するに当たって、おそろしく熱心である。そのために不治の難病で苦しんでいる人とか、戦場に赴く人や危険にさらされている人などは、神前への生贄として、人間を捧げる。時には自らの生命も犠牲にすると誓うのである。彼らはこの儀式を執行するため、ドゥルイデスを使う。彼らは一人の人間の命を救うには、もう一人の人間の生命を与えない限り、不死の神々の神意を宥めることはできないと考えている。このような人身御供は国家的な制度としても認められている。ある部族は、枝編細工で非常に大きな人形を拵え、その四肢の中に生きた人間をいっぱいに詰め、これに火をつける。人間は、炎に包まれて息を絶つのである」
from  カエサル「ガリア戦記」 第六巻 六年目の戦争(紀元前53年) 三、ガリアの制度、習慣(部分)
                                                                                                                                                                                                            
                                                                                                     
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      
時代区分によれば、これは中世ではない、その先ということになると古代と言われるような時代ということで、その先にはまた別の呼ばれ方をする時代がある。そういうことであるのですが、当然それは現代から見てのこと。ということから、その現代がこれから二千年ほど先のものとなると、21世紀辺りはそうした時代区分からするとどのようなことになるのか、少々興味を覚えてしまいますねえ。途方もなく旧い時代だから、それに相応しい呼び方の時代になるのだろうけれども、古代云々とは別の呼び方になるのでしょう、多分。それにしても、どのような世界模様になっているのか、是非とも訪れて様子を眺めさせていただきたいものですよ。
                                                                                                                     
                                                                                                                                                                                                                                                                                                   
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